なぜ身近な人に程、厳しい目でジャッジしてしまうのか?

身近な人に程、厳しい目で判断してしまっているということありませんか?

友達や知り合いだったら許せるのに、目をつむれるのに。


私自身がそうだったのですが、

家族や身近な人(共に暮らす彼)に対して、

結構手厳しいことを言っていた時期がありました。


人間関係のお悩みは尽きない?いえ、そんなことはありません。


自分に必要なことに気付いて行動を変えていけば、

人間関係に関する悩みは次第になくなっていきます。


「もう私、限界なんです。

彼が・・・主人が・・・父(義父)が・・・母(義母)が・・・祖父が・・・祖母が・・・兄弟が・・・姉妹が・・・娘が・・・息子が・・・上司が・・・部下が・・・同僚が・・・友達が・・・」


私自身も人間関係において

結構しんどいなぁという思いを

割と多めに(笑)経験してきました。


自分が気付く必要があることに気付かないと、

いつまでも人との関係において、

それこそ人を変え、場所を変えてつらいと感じることが起き続けます。

また、気付いても行動しないと、

早く気づけよとでも天が言っているかのように、

私たちの潜在意識はどんどんと

その点について立ち止まらなければならないほどの

大きな事件を起こしていくようです。


私自身がそうでしたからよくわかります。


そして、今の暮らしをしながら、

ある2つのことが深く腹落ちしたというか

強い納得とでもいうのでしょうか。

言葉だけでなく、

体験を通して本当に腹の底から理解しました。


一つは

私は、家族(共に暮らす人)が最も大切と言いながら、

家族に対してもっとも辛辣で、

友人や知人に使う配慮を一切せずに、

厳しい表現を使っていることがありました。


歯に衣着せぬ物言いで、

相手に期待することをさんざん並べ立てて、

結果として自分の不満だけをぶちまけ、

相手を責め立ててしまうということをしてしまうことをしていたんです。


そして、


もう一つは、

自分の力で何とかしなければ何も変わらないと

最初から分かっているものに対しては、

相手を責めるのではなく、

結果を得るために

自分のかかわり方を変えることができるということ。


どうしてこれに気付くことができたかというと、

それは、自らの手で創る暮らしを始めたからです。


今は、お野菜やお米を育てて食べる生活をしています。


毎日畑に行って、様子を見たり、

日が当たるように少し調整したり、

水が干上がらないように足元を草で覆ったりして、

日々植物の成長を見ているときに、わかりました。

自然に近い状態で育てていると、
周りの草花と競争して育ちます。

日当たり、水を得られているかなどによって、

育ち方が違ってきます。
そして、つないだタネで育てていると、

同じ種類でも成長の速さ、実のつけ方が違ってきます。


毎日植物を観察していますが、

成長が遅い植物には“がんばれー”と応援したり、

大きな植物には“すごいねー”と感嘆の声をあげたりしていて、

植物にたいして常に応援するような言葉や、

その成長プリに驚く言葉を使っていて、

“どうしてそんなに成長が遅いのよ”
なんて責める言葉を言わないんですよね。


つまり、自分の期待を押し付けていない。

それに気づいたときにハッとしました。


人にはどうか?ってこと。


あー、人は私と同じと思ってしまうから、

言葉が少なくても、わかってくれるよねと、

無意識に期待 してしまっていたなぁ。とか、

”なんでこんな行動をとるの?私がここにいるんだから、

そんなことしたら私がどう思うかわかるでしょ?”という具合に、

自分は正しくて、相手が間違っていると
無意識のうちに責めていたんです。


それが友人や、知人だと、

伝えるのを我慢ができたり、やり過ごしたり、
気にしないようにできるのに、

家族やとても身近な人だったりすると、

その怒りの覚え方が増大していました。


そしてそれは、

人を“操作しようとしていた”。と理解できました。

これはいわゆる裏切りの傷を持つ人の反応です。


えー!何てこと~!って思いました。


これを続けている限り関係性は改善するどころか悪化します。
なぜなら、自分が思っているくらい相手も

私のことをそのように感じているからです。


そして、

相手は自分の鏡という言葉があります。

相手は自分、相手に自分を投影しているという言葉を思い出し、

私にできることは何か?という意図をもって

より深くその言葉を理解しようと探求がはじまりました。


相手に対しての期待と責める言葉は、

同じエネルギー量を使って、自分自身を責めていたことに気付きました。


私がやっていたことは、汚れのついた自分を鏡の中に見て、

鏡に対して文句を言っていたんです。滑稽ですよね。


そんな不毛なことはやめて、

自らに変化をつけていこうと探求をはじめ、許し、エゴの声と対話し、

相手を操作しようとすることをやめ、新しい行動をとることを決め、

実験と調整を繰り返し、変化を作り出しまた。


相手に見る期待外れな行動に対してつける言葉(評価)は、

自分自身が持っている考えにしかすぎません。

肯定的な言葉であれ、否定的な言葉であれ、

評価というものは、すべて自分の中に存在する定義と

判断基準を用いて言葉を選んでいます。

なので、

否定的な言葉が使われているときは、

“重要な自分への気づき”へと変えていくことで、

自分を成長させ、さらに豊かな未来へと生かすことができるようになります。

これは無力さを感じて逃げたり、被害者になったり、

強い怒りを感じたり、自分に我慢を強いたりするより、

最も自分の未来に対して建設的な方法です。

(決して相手の人から離れずに自分と向き合えということを言っているのではありません。価値観や価値基準が違う場合は、離れるということも一つの選択肢となりますし、お互いの違いを理解したうえで付き合うこともできます)


特に家族や身近な人に対しての感情は、

とてもわかりやすく自分と向き合うことができる方法だなぁと

感じています。

というのも、

そこには、相手に対して察してくれるだろうという

過度な期待があったりするので、その過度な期待の分、

期待外れな結果を目の当たりにしてしまうと、

感情が大きく揺れます。


実際のところ、自分の持つ相手に対する期待は、

言葉で伝えなければ、伝わりません。

もし言葉でも伝わらなかったら、

伝え方を変える必要があります。


それとは別に、お相手の価値基準が、

共に過ごすときにあなたの快適さを

上位に置いている場合は伝えなくても

察してもらえているかもしれません。

しかしながら、実際のところは、

伝えなければ正確には伝わらないものです。


私自身、ひどいと思うようなことも言われたり、

なんで私ばっかり?こんなこと言われなきゃならないの?

あー悲しい、そしてむかつく!と思っていたのですが、

様々な状況、時には彼以外の人を使って

“あること”を鍛えるために

わざわざそれをさせていたということに気付いて、

行動を考え、新しい行動を試し、調整し、

いい塩梅まで整えていくと、

関係性に変化が大きく現れました。


その結果なのか、

今では彼は、時々ご飯を作ってくれるようになったり、

これまで一緒に居ても会話が少なかったのが、

お互いの状況や、これからの未来の話も

毎日できるようになったのと同時に、

私の仕事にも良い影響が反映されています。


そして、


私自身が “ん?なんだこれ?” ということを、

相手の中に見つけるごとに、再調整すると、

さらに心地よい関係になっていくんです。


自分の身近な人ほど、

何かに気付かせてくれる大切な存在として

用意している自分がいた。

そんな風に考えながら接していくと、

それまで感じていた以上に、

とても重要な存在なんだなということを

改めて感じることができるようになりました。

(ムカついて仕方なかった時は、本当に別れた方がいいかも…なんて思っていたので、こんな風に感じれるようになるなんて思いもしなかったんですけどね。ココロのメガネが変われば感じ方も変わる。自分の身に起こる日常の変化に楽しみを見出す毎日です(笑))


身近な人に厳しいのは、

最も自分をわかりやすく映してくれる鏡だからかもしれません。


もし、かつての私と同じように

鏡に対して文句を言い続けているならば、

自分ができることを探求していくこと、

強くお勧めします。

ココロのメガネ屋 トランスフォーメショナルコーチ 松下並樹(まつしたみき)

自分で自分をケアできる時代を目指す。 ココロのメガネ屋はセルフケアを目指す人のサポートを行っています。

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